社会で活躍するOBの紹介

社会で活躍している、あるいは活躍された卒業生(同窓会会員)を紹介したいと思います。
不定期に取材した方々を順不同でご紹介いたします。取材者の主観が入りますがご了承ください。
なお、文面に間違いや、掲載に差しさわりがあるものがあれば、問い合わせフォームより、ご連絡下さい。

バイアウトファンド運営企業CEO 園田岩雄氏

ベーシックキャピタルマネジメント(株)
代表取締役社長

S57年3月 滝高等学校卒業
S57年4月 慶應義塾大学経済学部入学
S61年3月 同大学卒業
S61年4月 (株)富士銀行入行
H6 年  米国現地法人出向
H15年 みずほ証券(株)に入社
H19年 ベーシックキャピタルマネジメント(株)
H20年~ 同 代表取締役社長

 

”これまでのお仕事の経緯をお聞かせ下さい”

20代は、銀行での新規営業と債券ディーリング(*1)の仕事をしました。上昇志向が強かったですね。自分のポジションを作りたかった、つまり仕事に自信を持ちたかったのだと思います。ちょうどバブルが頂点に達し、その崩壊が始まろうとした時でした。社会・会社・仕事の価値観が簡単に変わるのを見ましたが、まだ自分自身の事として捉えられませんでした。

30代は米国で信託やストラクチャードファイナンス(*2)関連業務に携わりながら、働くことを通してカルチャーギャップを良くも悪くも感じました。米国人スタッフと激しく対立することが多く、自分中心でやや“調子に乗って”いたのかもしれません。自分の信じていることが正しいからこうすべきだ、って感じですね。

その後、90年代後半日本経済が沈む中で、金融界も大きく傾き、CREDIT(信用)のことを強く意識せざるを得ないようになりました、というより“信用が全て!”でした。日本の銀行は信用を失ったという感じでしたから。米国ではリストラ関係で訴訟も経験しました。労務問題は難しいですよ。

そして、30代最後に、NYで9.11の同時多発テロに遭遇しました。一緒に仕事やっていた人間を失いました。劇的ではないですが、それまで固執していた様々なものに興味を失い、少し価値観が変わりました。

”あの9.11”に遭遇? ”

はい、あのビル群の一角にいました。最初、ミサイルのような飛来音と何かが破裂したような轟音と揺れを感じました。隣のWTCビルから煙がでているのに気付き、何が起こっているのかと家内に電話をしてTVニュースを見てもらい、飛行機が追突したことを知りました。それでWTCビル内の他の友人にも連絡しました。ビルが大きすぎて自分と同じように皆何が起っているのかわからないのでは、と思ったからです。できるだけ電話した後、自分達もビルから脱出しました。その後、WTCの崩壊を目の当たりにしました。

本当に多くの仲間を一瞬で亡くしました。数十名のお葬式に出て、涙も枯れました。葬儀で小さいお子さんやご遺族とお会いし、自分は無事だったという何とも言えない罪悪感に悩まされ、初めて精神科を受診しました。率直に言って、今でも信じられませんし、あまり上手く話せないし、話したいとも思いませんでした。

帰国して数年後、米国出張時に機内で偶然、亡くなったかつての同僚のご遺族と隣り合わせました。元同僚の奥様です。その時、亡くなった同僚のこと、事件の当日のこと、語っているうちに、涙が止まらなくなって、内にずっと秘めていたものが一気に出たように思います。
今は、聞かれると普通に、淡々と振り返ります。

”ビルからの脱出はどのようでしたか?”

退避した後、WTCから少し離れたところで消火活動を見守っていたら、突然轟音と共にWTCが崩壊し、一気に火砕流のような煙に覆われました。辺りにいた人達と南側の海の方へ走りました。逃げながら、状況がよくわからず、ただ背後からものすごい爆風のようなものが吹いてきた事と、戦争の時の空襲ってこんな感じなのかと、ぼんやりと考えていたことを覚えています。海のところまでたどりつくと、そこではミネラルウォータを売る屋台があったのですが、その水を奪い合う喧嘩が起っていました。とにかく目を洗いたかったんです。埃まみれだったから。何も持たず逃げ出したから金も持っていない。皆が金も出さず、売り物の水をとるわけだから、売り主が怒るわけです。だけどそんなことも言っていられない。私は、誰かに胸ぐらをつかまれたと思った次の瞬間、気付いたら相手を投げ飛ばしていました。投げたのは大男でした。そういえば、滝で柔道部に所属していましたが、現役時代はそんな力はなかったので驚きです。とにかく柔道をやった経験が、こんなところで役に立ちました。こういう非常時になると、地位とか名誉とか何の意味もない、必要なのは体力と気力だけだと思いました。

あの日は、沢山の人が亡くなってしまったし、会社もビルごと無くなってしまったし、これから何をしようかと呆然としていたと記憶しています。

”人生感は……”

入社したばかりの22歳の時に、同期200人が入社時の抱負を書いた自己紹介文があって、それに、「幸福な人生を求めて頑張ります。」と書いたのですが、結局、この入社時の原点に戻った気がします。

振り返ってみると、いつもバブルとその崩壊に関係してきたように感じます。20代の駆け出し時から不動産バブル、株式バブル、米国での、ヘッジファンドバブル、ITバブル、そしてサブプライムに端を発したクレジットバブルと、何回も繰り返しますね。

アメリカに行った頃は、日本のステータスがまだ高かった頃です。自分で気に入った町を選び、比較的大きな家に住みました。まわりには中の上ぐらいの人が多く、たまたまですが日本人はあまり住んでいない場所でした。最も豊かな時代のアメリカ人がまわりにいて、楽しかったです。日本人は長時間働いていたけど、一般のアメリカ人は平日夕方5時頃から子供達のフットボールの試合を見たりして。それで、「ひたすら仕事ばかりする人生って何か違うんじゃないの?」って感じ始めていました。

30代は、家族もすっかり米国にどっぷりで10年。子供たちは、精神構造上はアメリカ的になりました。あまりに快適だったので、日本に帰国するのをやめようか、アメリカで過ごそうかと思っていた頃、テロが発生したんです。

沢山の友人、知人、同僚を亡くし、葬式に沢山出て、仮オフィスがプリンストンに決まって、米国内での単身赴任も経験しました。日本人との接触が極端に少なくなりました。そんな時、たまたま、父の病気もあり、日本に帰国することを決めました。やはり、家族が一番大事だと思います。

”ご家族は?”

アメリカでプライベートな生活を大事にしてよかったと思います。家内や子供との関係でも、絆が深まったと。一長一短はありますが、アメリカのいい部分を感じるほうが多かったです。特に子供の育て方について。いい親父でありたいと思うようになりました。うちは、長男が大学生になりましたが、今でも年に1回は、“無理やり”でも家族旅行していますよ。スキーやスキューバダイビングという共通の趣味を家族で楽しんでいます。

”最後に、今の仕事は?”

今は、中堅・中小の会社に資本投資し、経営陣と一緒に事業を立て直したり、事業承継を手伝ったり、企業価値を高めることを目指したバイアウトファンド運営業務をやっています。金融の中では、実業にかなり近いという感じがしています。投資先の従業員から感謝されるのはこの仕事の醍醐味(だいごみ)の一つです。ファンドとして、リスクを取って、規律ある形で、事業価値を上げたい。経営陣、従業員を始め、取引先、金融機関などの関係者が納得する形で会社の価値を上げたい。とても難しいですが、今までの金融証券市場での仕事や経験の集大成という感じがしているし、自分では少しくらいは社会の役に立っているという気がして気にいっています。

ありがとうございました。今後、益々のご活躍を期待致します。

※平成21年12月5日 取材
(文責:S57卒 佐宗美智代)

(*1) ディーリング:証券会社や銀行が自己の資金を使って、株式や債券、為替などに投資すること。
(*2) ストラクチャードファイナンス(Structured Finance):資金調達手法。