社会で活躍するOBの紹介

社会で活躍している、あるいは活躍された卒業生(同窓会会員)を紹介したいと思います。
不定期に取材した方々を順不同でご紹介いたします。取材者の主観が入りますがご了承ください。
なお、文面に間違いや、掲載に差しさわりがあるものがあれば、問い合わせフォームより、ご連絡下さい。

会長 佐々幸夫氏

不動産鑑定士 (社)日本不動産鑑定協会 会員、
滝学園東京同窓会会長、 東京キタン会(*1)副理事長、名古屋大学全学同窓会関東支部幹事

(*1)キタン会(名古屋高等商業学校、名古屋大学経済学部卒業生の会)の東京支部


名古屋生まれ、昭和20年滝実業学校農業拓殖科入学(同科は敗戦で廃止され、商業科に転科)。
昭和26年3月滝実業高等学校卒業。同期には、中日新聞参与の藤沢氏。
中学入学当時は、ご両親もご自身も、卒業したら特技の珠算を活かして就職をと考えていたが、先生方の熱心なお勧めがあって、進路変更。
昭和26年4月国立名古屋大学経済学部経済学科入学。昭和30年3月卒業。

(余談)戦争終了前の「滝実」は、県立中より授業料が安かった。戦後、学校経営は大変だったと思うが、生徒にとって幸いだったことは、陸軍のエリートを育てた陸軍幼年学校などが閉鎖となり、その職を失った優秀な先生方が滝の教職に就いたこと。物理の小室先生、数学の江崎先生、世界史の小沢先生等々。 丹羽教頭先生、国語の安藤三郎先生など、熱意溢れる補習授業をしていただいたお蔭で、商科卒でありながら、上述の藤沢氏とともに、新制国立大学の一期校に合格することができた。

 大学卒業後は三菱信託銀行へ。 昭和40年に、制度発足後間もない不動産鑑定士補の試験に合格。
その後、鑑定業務に従事する機会の無いまま10年近くを過ごした後、不動産鑑定士の試験を受けるため自ら希望した不動産部へ。 昭和51年3月不動産鑑定士登録。
 昭和56年10月より、清水建設株式会社へ出向。 折柄の不動産ブーム、大手建設会社には、不動産鑑定の有資格者が少なく、先に出向していた三菱信託銀行の不動産鑑定士に続いての入社となった。

1991年4月10日 ペンシルバニア大学(フィラデルフィア)ウォールトンスクールの経済学部リンネマン教授の要請を受けた清水建設の指名で、同大学大学院の学生に、「東京の不動産市場」という題で1時間余レクチャー(英語で)。質問も2、3出て、ホッとしたそうです。

(余談)前日、リンネマン教授招待の夕食時に、ランニングが好きだという話をしたところ、緊張のためか口数の少ない様子を見た教授が「明朝、ランニングを一緒にどうか?」と誘ってくれて、スクールキル・リバーの河岸を、ほぼ20キロ走ったそうです。
 又、6月にリンネマン教授が、答礼を兼ねて来日した際には、一緒に皇居の周りをランニングしたそうです。
 ランニングについては、後談。


 その後、三菱信託銀行を55歳で退職後、60歳定年まで清水建設勤務。更に1年延長するも、バブルがはじけて終了。その後、すぐに62歳から三菱信託の関連会社を紹介されて、平成19年2月、74歳まで、不動産鑑定業務を受託。現在75歳。


 現在は、もっぱら同窓会のお世話役だそうです。というのも、パソコンが出来るからだろうとご謙遜。
 上述の東京キタン会、滝東京同窓会(年1回開催)、名古屋大学全学同窓会関東支部幹事(月1回会合)の他、名古屋大学同期の集まり「豊川会」幹事(年1回)も。旧七帝大卒の集まりである学士会の「午餐会」(月1回、昼食と講演会。)には、ほぼ毎回出席(実は、この取材は午餐会の直前でした)。



 趣味はマラソン。鑑定士走友会(年1回か2回遠方でハーフマラソンなど企画)の幹事の他。

S57年4月から入っている千代田走友会は、一般の人の会で、メンバー歴25年。毎週日曜朝8時から、竹橋の「大手濠緑地(旧称清麻呂公公園)」でラジオ体操の後、一周約5キロの皇居の周りをジョグ。 最近は2~3周。つい数年前までは、シーズン5周、夏は4周だったそうです。
 ウィークデーも家のまわりを走っていて、多ければ1週間に60キロ。夏は50キロ走るそうで、皇居の日曜ランは、既に1000回前後、生涯走行量は、疾うに地球1周済み。

 10キロ以上のランニング大会参加、フルマラソンまで含めて、来週の諏訪湖ハーフマラソン(21キロ)で、丁度200回目になるそうです。 又、「昨日は、江戸川の河川敷をわずか10キロだけど走って、高齢者賞を受賞した」とか。
(写真は2007年3月18日 第10回東京・荒川市民マラソンにて)

 こんなに走るようになったきっかけは、メタボリックシンドローム??
 スリムなお体なのに、と思いきや、50歳になる前に、血糖値が106で糖尿病予備軍と言われたことが始まり。食事療法か、運動療法のどちらかが必要と言われたが、戦時中を経験した者にとって、再び貧しい食生活はしたくないと思ったことと、仕事で忙しいから運動療法は無理でしょうといわれて、あまのじゃくだから、運動療法をすることにしたんです。と笑って話されました。
 更に、やる気になったのは、当時小学4年生のお子さんにかけっこで負けたこと。それはショックでしたよ。って。それから真剣に走り始たそうで。今では走ることが楽しくて仕方ないというご様子。

 1990年3月、ヨーロッパ都市問題視察団((財)東京都市再開発促進会企画 清水など大手建設会社5社から部課長クラス10余名が参加)で、ヨーロッパに行った際には、各有名都市を、「朝飯前にラン」したそうで、パリのシャンゼリゼ通り、イタリアのミラノ、スペインのバルセロナ、ドイツのフランクフルト・アン・マイン、観光地のバーデン・バーデン、コスタ・デル・ソルなど。
 91年上述のペンシルバニア大に行った際にも、4月7日、到着すぐに、夕方ニューヨーク五番街を走り、講義の前日朝10キロ、当日朝20キロ、翌々日以降はワシントンで15キロ、15キロ、ボストンで10キロ、20キロ、ニューヨークでブロードウェイなど15キロ、最後の17日に15キロ。
 (元気ですねー。(笑))


 さて、今後どうしたいか?というと、、
 東京同窓会の役割としては、上京して在学中の皆さんに是非参加してもらい、在学中の旧交を深めて欲しい。今は携帯電話などでごく親しい人とは連絡がとれるだろうけど、皆と顔を合わせる機会を作りたい。又。卒業して社会に出た人には、仕事で役立つようなことがあれば、同窓会を活用して欲しい。
 ホームページを充実させ、情報交換がしていければと思います。 と抱負を話されました。

※平成19年10月22日 学士会館にて取材

(文責:S57卒 佐宗美智代)